擬態としての美容

私はかわいくなりたいわけでも、モテたいわけでもない。ただ、人として自他共に尊重されたいだけだ。人間の女に擬態するためだ。それが美容の基本方針だ。

 

「ブス」と判断された女は、人権のない存在として扱われる。軽んじられる。

一度経験したら恐怖感で身がすくむ。

 

私は小学生のとき、「クラスワースト3に入るレベルのブス」扱いだった。145㎝で49kgもあり、母親が子供の頃に着ていた服というヴィンテージを纏っていた(今考えたらこれはおしゃれだ)。

家庭環境ゆえに、髪は祖母が切っていたがめちゃくちゃな髪型だった。眼鏡をかけ、暗い性格で、持ち物も祖父母が使っていたものとかばかりで、それはもう完全に“異物”だった。

お下がりばかりだったのは、勉強用具以外を買ってもらうことに後ろめたさがあったのだ。だから、これでいいよ、と言ってしまっていた。不満もなかった。

 

お寿司はブスなのに目が大きくて気持ち悪い。

体育のときは、蛙みたいで気持ち悪い。汚い。キモい。デブ。

たくさん言われ、私は自分がブスであることはもう仕方ないねって諦めていた。解決法も知らなかったし。

 

それでも当時、私は、服に興味もなければ異性に関心もなく、本が好きだったのでとりたてて悩まなかった。友達がいなくて寂しく思うことはあったけれど。

 

やがて中学校に入学し、服は制服になり、私は154㎝46kgとなった。

普通に扱われることにびっくりした。周りが優しいことにびっくりした。暗い性格も眼鏡も変わらなかったから、地味な存在には変わりはなかったが。

だからこそ不安になった。また前みたいにならないかと。女性として成熟していくのも恐ろしかった。装苑という雑誌が好きで、美しい写真や人物に憧れた。

なぜか、テストが上手くいけばいくほど、私は痩せることに固執し出した。数字は不安を救う。

 

体重は順調に減り、37kgまで落とした。周りはますます優しくなった。いつも優しくしてくれる人もいた。生理が止まり、少し安心した。恋愛にも異性にも興味は湧かなかった。そんな生々しい存在になりたくなかった。

痩せるだけで、眼鏡をしないだけで、服が違うだけで対応が違うなんて。人間不信にもなった。

今優しい人も、私が今の状態をキープできなかったら、私に価値がなくなったら離れていくのだろうと思った。

また以前のように扱われるのが恐ろしかった。

 

結局、摂食障害は、27歳頃まで続いただろうか。未だに太ることは恐ろしいし、身なりが整ってないときは不安感が湧いてくる。

 

不安は治らない。多分、私は自分の定義した“人間の女”ではない。擬態して初めてそうなれるのだ。今日も擬態。明日も擬態。エブリデイ擬態。

でも、擬態さえすればいいのなら、ある意味楽な話かもしれない。

擬態は擬態で、けっこう、楽しいよ。