Coccoの箱庭

Coccoが大好きだ。

Coccoを聴いていると、精神があるべきところに落ち着くというか、とにかく落ち着く。

 

私が自我を持って初めて好きになった曲は、Coccoの雨ふらしだ。

偽りも 目を開けて 信じましょう

青空が似合う あなたにも 雨は降る

当時12歳。本能的に惹かれ、自分にはこういう恋愛しか出来ないのだろう、それなら恋愛なんてしても無駄だと思った。自己分析ができている。

私が恋愛をするようになるのはおよそ9年後であったが、予言の自己成就かのように、この歌のようなテンションだった。

 

 

陰陽の対比という点からCoccoの歌詞を見てみたい。

届かない 遥か 日溜りに 手を伸ばす

わたしはまた 雲を呼んでしまう

あなたの靴は 汚れてしまう

上記に見られるように、自分=陰、相手=陽という陰陽の配置はaikoにも見られる。

しかし、aikoの場合、一人きりの都会のマンションの部屋が想起されるのに対し、Coccoの場合、苔むした暗い森にきらきら光が射しているのが浮かぶ。

 …完全に「樹海の糸」のイメージですね。いやそれだけではなく、自然や植物のある背景が彼女には似合う。

珊瑚、野原、丘、海。タイトルや歌詞の背景にあるのはそういった景色だ。

だからこそ、閉塞感がなく、独特のヒーリング作用があるのだと感じる。余談だが、入眠音楽としてCoccoは実に優秀である。

 

Coccoはまた、誰かへの執着も感じさせない。もしかしたらCoccoは世間一般の解釈とは異なり、全くメンヘラではないのかもしれない。

「ポロメリア」は、メロディーの美しさと歌詞の悲しさが相まって、とてもきれいな歌だ。

見上げれば 終りをみたこともない

目眩を覚えるような空

あの丘を越えれば いつもあなたがいた

さよなら かわいい夢

Coccoが決別したのは陽の世界であり、特定の「あなた」ではない。Coccoは自ら陽(かわいい夢)を離れ、陰へと向かう。それは退避ではなく、むしろ前進だ。

 

彼女は「小さな町」において、「僕の世界はこの小さな町」と言い切っている。

暗い暗い森の泉 痛い痛い胸を洗う

ここで終りなら

さようならら 目を開けろ

灰色の空

あきらめながら まだ歩いてる 両手に野ばら

諦めがあるのだ。陽には行けない、ここで生きていく。私はこのCoccoの強さが好きだ。

 

 

可愛い。そう、悲愴であるが、Coccoの歌は何故か可愛い。小さな箱庭を美しく作り、にこにこしながらそれを揺すっているような様子が目に浮かぶ。可愛い破壊衝動。

手を離すのは常にCoccoの側なのだ。

光を自ら手離しておきながら「私は光をのぞめないの」…いや、手離したのはあなたでしょ、といった感じだ。

この気持ちはよくわかる。怖いし落ち着かないのだ。陽の世界は落ち着かない。ならばいっそ手を離してしまおう。

この点において、確かにCoccoはメンヘラだ。

しかし、自分の小さな可愛い世界を美しく守りきる強さがCoccoにはある。 

指先から こぼれる愛を集めて

全てあなたにあげましょう

おねむりなさい

このしなやかな腕に 体を横たえ 泣きなさい

 

陽が必ずしも幸せなわけではない。森の奥だって、自分の可愛い箱庭を守れれば、それは幸せだ。

Coccoはメンヘラではない。強く逞しい。そこが大好きだ。