白い花
部屋に花を飾ることにした。
些細なことだが、それはかなり生活の質を左右する。生花を飾り続けることはそれなりにコストを伴うが、情緒の安定に与えるメリットは大きかった。
自室に美しい他者がいる、そのことでもたらされる規律と自制は思ったより大きい。
美しく生きたい。
きわめて偽善的な言葉に聴こえるかもしれないが、美とは造形のみに由来するものではない。
美しさとは日々の生活が醸し出すものであり、造形が美しかろうとなかろうと、澱みがあればやがてそれは目に見えてしまう。
造形の美しい人間がえてして他面においても美しいのは、それを保とうというプレッシャーおよびモチベーション、また卑屈さのない振る舞いによるもなのではないか。
私は美醜について悩むことも多かった。
美しくない、そう判定された際の軽んじられるさまは本当に心を蝕む。呪いのように、制約をかけ、自信を失う。
でも、美しくない人というのは存在しないと思う。投げやりになり、何もかもいい加減になり、諦めて汚くなってしまえばたしかに状態としては美しくないのかもしれない。しかし、宿命的に美しくないというのはないのだ。
私が老いたからかもしれない、偽善的な言葉かもしれない。けれど、自己を諦めず自分にとって美しい生き方を貫けばそこに美は生まれる。それを否定する人間はそれまでなので、どうか囚われないでほしい。たいがい無責任な言葉なのだ。自分に都合の悪いものを醜いと言っているに過ぎない。
自分が主観の中心なのだし、やはり結果として責任をとれるのは自分だけだ。だからこそ、自分の美しいと思う行動をし、自分の世界に沈むことの何が悪いのか私にはわからない。閉塞していようとも、自分が幸せならば良いのでは。
花は白い花が良い。今はかすみ草、次は青い花もいいかもしれない。花が部屋に増えていくことが嬉しい。